東日本大震災・個人レポート①

 3月11日、14時46分、日常生活のすべてが一変しました。そんなことはもちろん予想もできませんでした。私は茨城県水戸市で大地震に遭いました。仙台から帰ってきた娘と妻と3人でニトリへ行っての帰りでした。ちょうど陸橋を登ったところで、車が異常な動きを始めました。左右に揺れて、横転するのではないかというような揺れが生じました。何だろうと思いました。向かいの車が止まっていました。左に見えた水戸工業の生徒たちが4階から手を振っていました。すごい地震だなあと自覚したのはその頃でした。幸い横転せずに済みました。
 後で、職場へ行って、どこで地震に遭ったか聞くと、会議中であったり、研究室で被災したり、相当に大変だったそうです。まだしも車の中で良かったことが分かりました。息子は高校で机の下に隠れたそうです。
 遠方へ買い物に行く予定を変えて、近くのスーパーへ行きましたが、停電していて、皆さん出て来ていました。店の方が避難してください、と言っていました。帰宅すると、トイレから水が噴出していました。私が何度か水道会社へ電話を掛けたのですが、どこも出ませんでした。停電だもんなあと諦めてやめたら、妻が猛然と何箇所も電話を掛け始めました。すると1箇所、奇跡的に電話が通じました。それから暫くして奇跡的に修理業者がやってきて、修理をしました。2万1000円でした。すぐに次の修理先へ向かって行きました。かなり稼いだのではないかと思います。しかしその時は、よくこんな時に来てくださったとありがたかったですね。
修理後ほどなく断水になりました。もっと早く断水してくれたら助かったのですが、辺りは水浸しでした。娘が断水情報を携帯電話からキャッチして、風呂に水を入れておくように言いました。これが助かりました。しばらくは風呂の水を汲んで手や食器などを洗うのに使いました。断水が終わるまで2日は風呂に入れませんでしたが、他の土地ではもっとひどいことを後で知りました。また、停電のため電話もつながらず、ましてやインターネットは全くつながらず、携帯電話も充電が切れて使えませんでした。ついまり外部との連絡が全く途絶えてしまうんですね。これには驚きました。何人かの方から安否確認の連絡が翌日夕方以降に入りました。何度電話してもつながらなかったそうです。
 何が起こったのか、停電のため、翌日の3時過ぎまで分かりませんでした。すぐにコンビニへ行き、ろうそくをかろうじて買ってきました。食べ物は売り切れて、すぐに閉まってしまいました。それで他のコンビニへ行き、お菓子や食べ物を少しだけ買えました。大勢の方が買い物に来ていました。水城高校の女子生徒が来ていましたが、今日は高校へ泊まるそうでした。水城には、茨城県全体から生徒が来ていました。駅の近くにあったからですが、電車が不通になって、道路もどうなっているか分からない状態でした。信号機まで消えていました。それで家族の方も迎えに来れない方が多かったのだと思います。翌日、多くの迎えの車が並んでいました。
 夜はろうそくを点けて、過ごしました。テレビもないので、早めに寝ました。明日はどうなるだろうと少し心配しました。夜通し余震が激しくて、恐怖感で一睡もできませんでした。翌日道行く人々も睡眠不足で参ったと言っていました。これは大変なことになったなあと思いましたが、もっと凄まじい光景をテレビが点いてから知ることになりました。
 ちなみに先ほど2週間以上経って、初めて車に給油できました。1時間20分待って入れたのですが、それ以前は夜通し待って給油した方も居たようです。今日までは自転車を使ったりして、過ごしていました。もう少しでガソリン切れになるところでした。
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